2006/12/26

若さの勢いで独立したけれど

付けば資金なし、得意先なし、家なし、
あるのはやる気だけ
実家に帰りそこ拠点
七万円借りて単車を購入活動とした。
若さ勢い独立したもの次に仕入れ先とのつけ
そこまで出来たもの肝心受注無い、
ここから重苦しい日々始まった
ではセールスして注文を取ればよい解っていたが
営業の経験全く無し、訪問営業など想像しただけすくんでしまう
そのよう自問自答二ケ月ほど続きました
実家食費だけでも支払わなければとの思い大きくなり
なんとか自分奮い立た
訪問営業開始したうまくいきません
当時ガソリン?47円でした
燃料費加算する追われ、やけくそ半分無我夢中
体当たり営業始まりました
その無我夢中幸いなり、少しずつ注文とれるようなりました
独立、初回の受注ができ帰りの夜道を単車で走りながらの
感動の涙がでも鮮明記憶残っています
少し自信ついてきたようしました
その乗り昼間施工、営業飛び回りました
少しずつ有頂天になってしまい、かなり強引売り込みしてしまいました。
時代でしたら問題なったかもしれません
でもそのよう経験が教訓となり、本当にお客様いい勉強させていただきました
一例です一日数軒の受注が取れましたが、
帰宅すると全てキャンセルの電話が入っていたこともあります
でもにもあたりありました
このよう繰り返し叩かれながら、良き勉強いただき
一年後、兄に七万円の返済が出来ました。

今の仕事を始めたキッカケと動機

私が九歳の時父が胃癌で入院、
兄と私、妹、其れにお婆さんとの四人の生活が始まりました。
医者の予告通り、一年後S二十八年四月二十九日
家族と借金を残し、父は帰らぬ人となりました。
そこから経済苦が始まり本当に地獄でした。
絶対進学など無理なことは子供なりに自覚していました。
それからは出来るアルバイトは全てやりながら毎日のように
大人に成ったら何か商売をしたい思いでした。
学歴なし、貧乏育ち。見返したい。同級生で№?に成りたい。
出世したい。母を喜ばせたい。妹達を幸せにしたい。
の思いが執念と成っていた。
実家が二代前に繁栄して居た頃の様にしたいとの思いが
二十歳頃から強烈に成り社名は実家の屋号を引き継ぎました。
仕事のキッカケは、
中学卒業寸前に地元の病院に入院、危篤から一命を取り止め、
その後再発したので母の実家(大湊町)から日赤に通院となり、
親戚の人等から鰹船や真珠養殖等に誘いが有ったが、
でも絶対に陸の商売がしたかったので全て断りました。
療養中といえども、母や兄に甘えたくなかったので職場を自分で探した。
とりあえず、食べる、寝る事の出来る職場なら、どんな仕事でも良いと思い、
今の仕事に関連のある職場が有り、そこに腰掛けのつもりで入った。
少しその職場で落ち着いた頃から本気でやりたい仕事を考えました。
ブラジル移民、バスの運転手等々、数え切れない、
その職場で数年が過ぎた頃、内装屋とか言う職種が耳に入り、
何か心働くのを感じ、腹が決まり現職場を数ヶ月後やめ、
内装業を手探りでスタートしたのが二十歳でした。
次の機会に続きのお話をします。

2006/12/24

はじめまして、竹ヤです。