2007/01/12

私の大恩師、大師匠の旅立ち

昨年、私の母が霊山にと旅立ちました。
享年八十九歳でした。
約二ヶ月間の療養生活でしたが
私達兄弟で思う存分の看護が出来た事は本当に幸せでした。
やろうと思っても出来ない境遇の人もいると思います。
其れに比べたら有難いことでした。
普段は其れほどでも有りませんでしたが、
直面すると子供の頃が強烈によみがえり、
自分より母の命が大切と本能的に爆発するものです。
それと言うのも母が三十六歳の時に、子供四人と祖母、
おまけに借金まで残したうえ父は他界したのです。
私は九歳でした。それは大変な地獄でした。
其れにも負けず母は乗り越えて下さいました。
もちろん私も出来得るアルバイトは全てやりました。
本当に苦しい事ばかりでした。
でも母は愚痴など一切言わず働き続けて下さいました。
其のお蔭で私も何時も苦しい時、大変な時、
死まで考えたことも有りましたが、いつも自分に言い聞かせていました。
「女性である母があれだけの事が出来るのに
男である自分に出来ない事は絶対に無い」
母の生き様が私にとって偉大な心の財産となり、
今日まで来れました。
とは言え、普段はなかなか言葉では言えずじまいでしたが、
亡くなる四日前にやっと言えました。
「苦しい時の事、又他人にも言えなかった事は全て夢を観ていたのだから
夢は全て忘れて、好い思い出だけ抱いて眠って下さい、
後の事は俺と兄貴にまかしてくれ」
母は目に涙を浮かべて微笑ながら、
その後すぐ挑戦する課題を私にくれました。
母は偉大です。

2007/01/09

新年あけましておめでとうございます
今年もお客様とごいっしょに、
安心できるリフォームを考えて行きます。

我社が十二年前に増改築に進出した理由。
私は四十三年前に建築屋の下請けで内装業として創業しました
経済成長と共に、現場で重要な、前の工程で悪い事が発生するようになって来ました。
勿論、全ての元請業者とは言いませんが、其の悪い事とは早く言えば、手抜き工事です。
物作りの基本は一つ一つの工程で確かな工事をしてこそ結果、良い物が出来上がる。
誰でも分かる事ですが其れが出来なかったようです。
ある建築屋から私が干された一例ですが、
現場に入ったら前の工程の仕事に問題が有ったので、
出来ない理由を説明して、直すようにと監督に申し出たら、
なんとかうまくやってくれと言われましたが、
建物の為に悪いので仕上げる前なら簡単に修正出来るからと再度お願いしたところ、
他の業者は文句を言わずやっていくのに竹ヤはウルサイ、と罵声でした。
それから仕事は来ません。
この様な業者がバブルに増えていました。
工事金も払ってもらえませんでした。
要するに、そのような建築業者はお客様の方を視ていない。
私は貧乏人の次男でしたので自分の家を持つのが小さい時からの夢でした。
其の夢を粗末にされた様で悔しさを感じたのと共に、
大金を支払うお客様の工事で無く、業者の為の工事に見えました。馬鹿な話です。
よし「前の工程の重要性が一番と考える我々がやるべき」と決意しました。
長年の経験を生かし勉強もしました。
又、自分の建物も十棟ほど建て経験を積み重ねた後、増改築に進出した訳です。
以上の信念でリフォーム、増改築に進出した真実の理由です。
建築業者の反感が気になり、なかなか言えませんでしたが、本音が言え、すっきりしました。